いまぼくは実は日本に年末年始の休暇を利用して帰ってきている。そのせいか、この記事を書くのに少し苦戦している。離れた場所のことを考えるのはときに難しい。だからこそ、ぼくらは旅をするのだろうと思うけど。日本にいるとやはりなにもかも便利だなと感じる。地下鉄に乗っても、ホテルに泊まっても、お店でご飯を食べても。ただ、一方で便利なことはこちらを思考停止にさせる。

一つの例をあげるとするならば、ニューヨークではぼくはよく歩く。それは都市が平らで、碁盤の目状になっていて見通しがよく歩きやすいからだ。ただ、もちろん理由はそれだけではない。地下鉄が本当によく止まるからだ。その場合、あんまりにも目的地が遠ければタクシーを使うが、4、5駅分なら平気で歩いてしまったりする。はじめはGoogle Mapを使って歩いていたが、いまはそれに頼ることも少なくなった。それは、都市の点と点がつながってきて、面的に把握でき始めているからだ。東京には20年以上住んでいるが、いまだに点でしか把握できていない場所がどれだけ多いことか。


また、Thanksgivingの休暇の日、ブランチをハーレム(マンハッタンの北)の南部料理の店で食べて、自宅のあるイーストビレッジに帰る際に、電車もバスもダイヤが大幅に乱れ、かつそこら中でパレードが行われ、絶望的な状態であった。しょうがなく、幸いにも天気が良かったので、セントラルパークの中を歩いて南下することにした。すでに紅葉は終わり気味であったが、冬の気配を帯び始めた公園はなんとも美しかった。そして、なにより驚かされたのはセントラルパークの中に、ごろごろとした岩肌が露出し、起伏にとんだ地面があったからである。マンハッタンはどこへいっても平らな場所だと思っていたからである。家に帰って早速調べてみると、むしろその起伏のある地形こそが本来のもので、平らな地形を人工的なものであることがわかった。マンハッタンという語源そのものが「丘の多い島」であることも知らなかった。

不自由さから学ぶということは、一度便利な生活をしてしまった人にとっては忍耐力を要するかもしれない。しかし、都市の持つ歴史、魅力というものに気付くには、高度にシステム化された利便性の裏にあるものを、人間としての直感や体感から探してみることが必要ではないだろうか。

隈太一

隈太一

建築家。1985年東京都生まれ。2014年シュツットガルト大学マスターコースITECH修了した後に、2016​年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了​。2017年よりアメリカ、ニューヨークの設計事務所勤務。素材の可能性、組み合わせによる空間、場所のデザインを専門とする。代表作に、カーボンファイバーと伸縮性のある膜を用いた、新素材の組み合わせによるパビリオン「Weaving Carbon-fiber Pavilion」、自身が運営するレンタルキッチンスペース「TRAILER」のインテリアデザインなど。

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