情報に振り回されて心身共に疲れが出てきたこの頃。心の深部まで休息し、感覚をチューニングするには? 内田あやさんが本誌02号で綴った瞑想修行の体験に、そのヒントがありました。さあ、全ての感覚をオフラインにしたノーコンタクトの世界へ。

2017年秋やっと念願の!10日間の無言の修行(vipassana瞑想)に参加した。その生活たるや聞くだけで震える。修行センターのドミトリーでの共同生活、会話もアイコンタクトさえも禁止、テレビ携帯、ビールも禁止、完全菜食の食事で、ノートや鉛筆も預ける。やることといえばもちろん瞑想で、1日約11時間。起床は朝の4時の厳格な規律に沿った生活だ。完全に外部からの接触が断たれたこの状況。ひどく苦しい修行生活だと、行く前は完全に尻込みをしていた。現代の生活からは想像もつかない、全ての感覚をオフラインにした外部とノーコンタクトな世界。いわゆる、触れない、触れられない世界だ。そこで私の五感は十分にリストア(回復)された。残念ながら、リストアされて初めて気づく。私の感覚は、これはまたずいぶんとチューニングが外れていたということに。

瞑想

自分が居心地のよい座り方を探すというのも修行の一つ。背筋を伸ばしすぎても長時間は座れないし、リラックスしすぎても寝てしまう。そう、その間を探すのも一つの旅。姿勢は精神を表すとはよく言ったもの。

マルチタスクの弊害が叫ばれてからだいぶ時が経ち、さらにそれは進化して、“Continuous Partial Attention(以下略、CPA)”(連続的注意力断片化)になったという。簡単にいうと注意が拡散して疲弊する状態だ。マルチタスクの動機は「より生産的により効果的に」というものだったが、時代の風に乗り「何一つ見逃したくない!」に姿を変えた。運転しながら電話で話したり、家族と夕食をしながらテーブルの下でテキストを打ったりと、2つ以上の認識作業が必要な行動だ。CPAは一番重要と思われるタスクをする一方で、同時に他者や行動、好機をスキャニングして、そしてまた一番になるものを瞬時に入れ替える。こんなことをずっとしていたら、脳の回転数はどんどん上がり、その影響が身体に“Fight or Flight”(闘争・逃走反応)を与えるのは言うまでもない。何も見逃さないようにと意識のアンテナを張り巡らすことは、無意識にできたマルチタスキングと違い、精神的かつ身体的に大きなストレスにつながる。誰からのメッセージ?あの子の着ている服は何?あの人がいいね!してくれた。マヨルカ島はいま何時?

ボディスキャン

自分の身体という存在を、頭ではなく身体で感じて経験するボディスキャン。いい感覚に溺れず、嫌な感覚を排除せず、ただ事実を観察するだけ。

触覚

人に手を差しのばし、与えなければ触れられない。相手に心を開き、受け取る準備ができるまでは、誰からだって触れてもらえない。

何も見逃したくないという24時間、外へのスキャニングを休ませる方法はただ一つ。そことの接触を断てばいい。生きているという実感をネットや外に求めず、自分の内側に求めてチューニングすればいい。瞑想修行は、瞑想とノーコンタクトの実践の場で、感覚が研ぎ澄まされることは言うまでもないが、私にとってはその逆のことが驚きだった。むやみやたらに繊細になるのではなく、その時必要な感覚にしっかりフォーカスして、必要のないものはズームアウトできるようになった感じ。そうそう、感覚のチューニングが戻ってきた。それは生きているという実感が蘇ること。考えない1日は想像できるけど、感じない1日なんてあり得ない!渋谷のスクランブル交差点を歩いても辛くない。怖くない。

Continuous Partial Attention

「何一つ逃したくない!」という現代の病、CPA。何かとつながっていたい、つながれていたいという欲望が強まるにつれて顕在化。

五感の中でも、触覚はスペシャルだ。お母さんのお腹の中にいる時から一番に発達する感覚である基本的生命力だ。見たり(視覚)聞いたり(聴覚)することよりも、実際に“触れる”ことはリアルで確かな情報を得る手段。だから、視聴覚に偏った冒頭のCPAも、触れることが解決の糸口になる。生きているという実感=基本的生命力である触覚が、現代の生活には圧倒的に不足している。
その触覚をより活性化するために、自分の内側にチューニングする方法の一つとして、ボディスキャンがある。これは瞑想の入り口でもある。まず、楽な姿勢や横になる。リラックスした呼吸から始め、頭の先から爪先まで、ゆっくりと順を追って自分の身体を感覚でくまなくスキャニングしていく、ただそれだけ。しかし、横になった瞬間にすぐ寝てしまうなんてことがあるのではないだろうか。そんなときこそ自分に言い聞かせてほしい。自分が今何をしているかを。自動操縦モードに任せ、惰性で行動していないか?自分の目の前のことにしっかりと辛抱強く関わっていられるか? 集中していられるか? 彷徨う感情や思考、頭の中のおしゃべりを目の当たりにして驚くかもしれない。でもそれこそ生きている証。悪いことでもなんでもない。ああ、そうなんだと思って、また身体に戻ればいい。触覚にフォーカスするという、ただその瞬間、目の前にある一つのことだけに集中する“one thing at a time”の練習にもなる。

オキシトシン

私たちの身体にはリラックスや安らぎをもたらすシステムが備わっている。その重要な鍵を握るのはオキシトシンというホルモン。

文字通り、“触れる”というパワーは言うまでもない。マッサージを受けた人は、Fight or Flight時に出るストレスホルモンと言われるコルチゾール値が下がり、不安が軽減される。またある研究によれば、施術をしている人の体内でもオキシトシンが放出されているという。オキシトシンとは“幸せホルモン”とも呼ばれるもの。人間の脳から出るホルモンの一つで神経伝達物質の役割も果たし、Fight or Flight反応の対極にあるリラックスして愛情に満ちた状態を導いてくれる。私たちの身体には、そもそも自分や他者を癒やすという内なるパワーがあるということは、なんとも心強く、生きた心地を感じさせてくれるだろうか!瞑想修行では、「感覚(触覚)は、身体で生まれ、心で感じる」と言っていた。皮膚という感覚器は私たちをぐるりと覆っていること、表面だけでなく筋肉や腱などの深部、そして内臓感覚までも触覚に含むのであるならば、心はハートや頭の中の小さな場所だけではなく、まさに“全身”にあるのかもしれない。結局、触覚はとてもシンプルだ。心地よい接触があれば心地よい感覚が生まれ、心地わるい接触があれば心地わるい感覚が生まれ、どうってことなければ、どうってことのない感覚が生まれる。そしてそれが心を震わす。
 では、目を閉じて、そして一つ大きく息を吸い入れて。あなたはどうやって自分に触れますか? どうやって目の前の人に、手を差しのべますか?


PERFECT DAY 02号からの転載記事。雑誌を購入する。

内田あや

as・i・am/apartment 代表。ボディチューニング®創設者。『25ans』『FIGARO Japon』で女性誌の編集を手がけているときにジャイロトニックに出合い、パーソナルトレーナーに転身。ヨガ、呼吸法、リストアティブヨガなどを学んだのち、独自のボディチューニングメソッドを考案。やみくもに鍛えるのではなく、心身をしなやかに保つ理論で女優やモデル、俳優、編集者、ファッション関係者にも多くのファンが。著書に『エグゼクティブ・ボディ・チューニング』(講談社刊)。
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