特集「クラフトマンシップを巡る旅」にあたり、モノへの愛着について考えてみよう。今回は暮らしの道具として愛されてきた「民藝」を考えの切り口として、明治大学理工学部准教授の鞍田崇先生に話を伺った。モノをより深く楽しみ、味わうためのヒントを探る。

Q:第1回のコラムでは、「いとおしさ」「愛着」についての話がありました。
「いとおしさ」をより身近に捉え、味わうには何から始めればいいですか?

A:前回、生活道具を構成する要素として、機能性、美しさ、いとおしさの三つをあげましたが、じつは、いとおしさだけ視点が微妙に異なります。簡単にいえば、ゴールを見てるか、プロセスを見てるか。例えば、カップ。“飲むためのもの”という用途とほどよい重さや形、色、柄。それらを備えた姿がいわば完成品としてのカップのゴールである一方で、そこに至るまでにはたくさんのプロセスがあります。様々な制作工程はもちろん、作業がいとなまれる工房の佇まい、作り手の物腰、土地の気配も背景にあるかもしれない。そうしたプロセスとしての時間を共有する、共有しないまでもそこへと思いを馳せることが、モノに対する愛着を抱く際に大きな働きをする。
考えてみたら、現代の生活では、ゴールとしてのモノへのアクセスがすごく容易になっていますよね。何でもワンクリックで届くから買い物に出かける必要すら生まれません。その時間を短縮したぶん他のことに時間を使えてたらいいのだけど、あまりにも“ゴール”のみになってしまっていて、逆に日常がスカスカになっている気がします。

Q:プロセスを味わう、具体的な実践の例はありますか?

「作っている現場を見て、その空気感に触れる」ということが、イチバンではないでしょうか。産地=いわゆる通常の観光地ではない場所を訪ねる意味は、特に都市の暮らしでは希薄になりがちなプロセスを体験することにあります。ぜひ、モノが生み出される過程や時間を味わってみて欲しいのです。純粋に楽しいし。「魔法」のような光景に出会うこともできます。ろくろの上で土の塊がスルスルと形になってゆく工程は見入ってしまうほど魅力的。原理的には理解していても、ものの見事にいろんな形が手際よく次々と現れるさまは、なんでそんなことができるの?と驚くばかりです。
そういう楽しみもあり、それまでは表面的にしか見えてなかった単なるカップが奥行きをもって見えてくる。そうすると、純粋に目の前にあるモノについてさらに知りたいという好奇心や、もっと使ってみたいという気持ちが湧き出てきます。そのとき、ゴールでしかなかったモノが、スタートになる。生活に寄り添う存在として、ともに暮らしをつくっていくプロセスがそこから始まる。じつはいちばん大事なのはそこなんです。

第一回「いとおしさ」〜「用」と「美」の先に在るもの

第三回民藝の「藝」の意味

鞍田崇

哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。現在、明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会2015 )など。
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