朝9時半。工場の前には多くの客が並んでいる。品のある洋服に身を包んだ女性、まだ学生とみえる若いカップル、おなじみの靴を履いた常連らしきグループ。その誰もが、ウキウキした気持ちを隠しきれない様子でオープンを待っている。平日とは思えない賑わいに驚いていると、まもなくドアが開けられた。「いらっしゃいませ」。通された工場の2階には、誰かの足に馴染む前の凛とした靴がずらりと並んでいる。「それではqueの靴についてご説明いたしますね」。〈que〉の販売会が始まろうとしている。

埼玉県にある〈que(キュー)〉の工場で9日間に渡る販売会が開かれた。工場の2階はお店ではなく、販売会用に開かれたスペースだ。〈que〉にはお店も、ネットでの販売もない。不定期に開かれる工場での販売会、全国のショップやレンタルスペース、〈赤坂蚤の市〉などでの即売のみだ。情報もinstagramに限られており、その全貌をみることはなかなかできない。〈que〉とは一体どんなブランドなのか。美しいフォルムの靴に魅せられるまま、工場を訪れた。

戦略よりも小さな積み重ね

〈que〉の母体となっているのは、主に紳士靴のメーカーとして活躍してきた〈コンパニオン製靴〉。昭和43年の創業以来、多くの有名ブランドの製品もOEMメーカーとして手掛けてきた会社だ。その延長として開発されたのが〈que〉のなのかと思いきや、ブランドの始まりは靴ではなかったという。

「年に2回開かれる会社のファミリーセールに、バッグや革小物などを販売したのがきっかけでした」

もう何年前の話なのか正確には覚えていない、と笑いながら話してくれたのは、〈que〉のプロデュース全般を務める金安夫妻だ。ブランドの運営はこの二人によって始まり、製造管理から販売・見せ方に到るまで、全てを取りまとめている。

「『いいですね』と言ってくれる人は、どことなく趣味が合うから、また次の時にも来てくれたり、お友達を連れてきてくれたり、口コミで広がっていきました」(妻・好江さん)

靴に着手し始めたのは、それからまもなくのこと。天然皮革を使ったシンプルで普段ばきできる靴がほしい、という好江さんからのアイデアで試作が始まった。

「plain」

「売れない」と言われた靴。信じたのは「好きだ」と言ってくれる客の声

〈que〉の代表的な靴である「plain」は、通常の靴ではほとんど実現できないほど深いアッパーが特徴的だ。靴紐やサイドゴア、ジップなどを使用せずにアッパーだけ深くすると、足が入らなくなる。そこで思い切って芯材を抜き、あえてかかとを踏んでから履くデザインになっている。斬新なそのデザインは、伝統的な靴の製法から考えればご法度に近い。昔から働く工場の職人さんから「芯も入っていないなんて靴と呼べるのか、スリッパじゃないか」「本当に売れるのか」と当初はかなり心配されたという。それでも、自分たちが履きたいもの、好きなものを作ればそれをキャッチしてくれる客がいるんじゃないか。そう思えたのは、これまで作ってきたバッグなどの革小物を「好きだ」と言ってくれる客がいたからだった。

「分かってくれるお客様がきっといると思っていました。それに、売り上げを第一に考えていたわけではなく、お客様の反応をみるという実験的なところもあったのでとてもワクワクしていました」

ファミリーセールに出してみると、金安夫妻が予想した通り、“同じ感覚”を持つ客に受け入れられ、その都度客数は増えて行った。反対に予想以上だったのは、口コミだけで広まっていったこと。当時はSNSアカウントも開設していなかったが、噂は近所にも流れ、地元のカフェやギャラリーショップから声をかけられ、販売会の機会を増やしていくことになった。赤坂蚤の市などにも出店すると、更に多くの人の目に留まり、瞬く間に人気ブランドへと成長。客にも喜ばれ、嬉しく思う一方で、金安夫妻は「ブランド」として求められるイメージやサービスに対する小さな違和感を感じ始めていた。

不便すぎる買い物。それでも大切にしたいもの

SNSアカウントも開設し、フォロワーも増え始めた頃、夫の謙明さんは通販を視野に入れ始める。実店舗を持たないブランドが通販を始めるのは当然の流れだ。これだけファンも増えたのだから、ネットで販売すればもっと効率よく売れるはずだ、と。しかし、好江さんはなかなか首を縦に振らない。遠方の客から通販の要望も多く、確かに売れるのかもしれないが「なんか違う」。何度も何度も話し合い、通販のセミナーなどにも参加してみたが、やはりしっくりこない。「この違和感を一言では言い表せられなかったんですが、少なくとも納得がいかない限りは前に進まなくてもいいかなと」

言葉ではうまく言えない“なんとなく違う”という感覚。そんなモヤモヤを抱えながらも販売会を重ねるうちに、その“なんとなく”という感覚の輪郭が少しずつ見えてきた。

「私たちの口からは決して“履きやすい靴”だとは言わないんです。〈que〉の靴には決まった型がありますが、決まった革はありません。その都度用意できる革で作るので、柔らかさや色が異なり、個体差が大きく出ます。そして、人の足の形は実に様々なので、必ず試し履きをしていただかないと、“履きやすい靴”には出会えないんです。手間かもしれませんが、それを経なければ本当の〈que〉を履いて頂いたことにはならないと思っています」

販売会では客の滞在時間が非常に長い。一見同じに見える靴でも、革の種類や履き心地が全くと言っていいほど異なるので、試着に時間がかかるのだ。自分の好み、そして足に合う靴をたくさんの中から選び出す贅沢な靴選びの時間は、客の顔を輝かせる。

もし通販をしたら、その時間はどこへいくのか。得られる履き心地と靴選びの楽しみを客に届けることができなくなってしまうのではないか。通販推しだった謙明さんも接客を重ねるうちに、好江さんが言っていた「なんか違う」という感覚が妙に腹落ちしたという。「“履きやすい靴”に出会うための販売会。お客様のためにも必要な時間だと再認識しました」

一見、不便に見える販売会は、回り回って客自身のためになることばかりだった。もちろん、通販やWEBサイトを作らないと決めたわけではない。「最適な方法ときちんと伝わる言葉が見つかれば、その時はきっと作ります」と、試行錯誤はまだまだ続く。

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モノ好きが考える、モノの価値

que
靴メーカーによるファクトリーブランド。
店舗・通販は無く、催事等での展示即売のみ。 販売会の情報、お問い合わせはinstagram公式アカウントからご確認ください。