学生時代、旅慣れていた友人の持論は「世界のどこかにモテる場所が絶対にある」だった。浅黒く南方系の彫りの深さをもつ彼女は、マレーシアやフィリピンなどでたいそうモテたらしい。確かにあのあたりに行くと彼女のような美人がたくさんいた。

ひるがえって自分はどうか。昔から台湾では韓国人に間違えられ、香港では中国東北部出身かと聞かれるほどのアジア顔だけど、うーん、まったくもってモテた記憶がない。「いっぱいいそうな顔」だからといって、必ずしも「モテる顔」ではないことを現地に行って悟るのだった。

この世界にパラダイスなんてない。ほぼあきらめていたのだが、数年前、とうとう出合ってしまったのだ。私が超絶にモテる場所、南米ペルーに。
それほど背が高くなく頭が大きめ、モンゴロイドを感じるのっぺりとした顔つき。自分に近いものを感じ、彼らの輪のなかへすっと入っていけた。山岳部へ行くと山高帽を日常的に被りこなしている女性たちが多く、荷物を運ぶためカラフルな布を首にまいて歩いている。なんてかっこいい人たちなんだ。その愛を向こうも感じ取っていたのだろう。私のしゃべる幼児ポルトガル語をスペイン語話者である彼らは理解でき、すぐに仲良くなれた。

ピークに達したのが、マチュピチュよりさらに南、アレキパに近い村でのことだった。クスコの市場で買った刺繍のついた民族衣装のスカートをはいて町の市場へ行ったとき、「あんた、それどこで買ったの?」「あら、かわいい」「どこから来たの?」「名前は?」と、スカートをぐいっと引っ張られるくらい熱狂的な勢いでモテまくった。もちろん、おばちゃん限定だ。同性にモテたほうが後腐れなくていい。とうとう出合ったパラダイスに心地よく酔いしれながら、どうして自分がこれほどモテたか考えた。

当初、私はモテる基準として、顔立ちのことばかりを考えていたけど、それはほんの一要素にすぎないのだろう。人が親しみを感じて、好意をよせる基準はいろいろある。表情、しぐさ、立ち居振る舞い、話し方、人との接し方、気の使い方など、いろいろなところで人は人を瞬間的に感じ取る。ペルーでも自分たちの言葉を少しだけ理解するおかしな東洋人が、スタイリッシュな民族衣装を着て、しかも自分たちに好意をよせている。そんなことを感じとっていたから、おばちゃんたちも私を好きになってくれたんだろう。

日本にいる今の私の顔と、旅にでているときの顔は確実に違う。私だけでなく、友人知人たちの顔を見ていてもそう思う。違う文化に触れると、その土地の顔になる。そしてその顔は、自由な美しさがある。

こうして世界を見回すと、私たちが普段思っている美しさって、ものすごく限定的なものだということに改めて気づいてしまう。美しさとはこうあるべき。そんな型に知らず知らずのうちに自分からハマりこんでしまっているのだろう。

ああ、小さいなぁ、日本も自分も。そんなことに気づけるだけでも、旅をする甲斐はある。

岡田カーヤ

ライター、編集者、たまに音楽家、ちんどんや。街の楽団「Double Famous」ではサックス、アコーディオンなどを担当。旅と日常の間で、人の営み、土地に根ざした食や音楽などの記事を書く。『翼の王国』『ソトコト』などで執筆。ワインとスープを飲み歩くのが好き。幼稚園児程度のポルトガル語を駆使しながら年一ペースでポルトガルへ通う。当コラムタイトル「HOLIDAY GOLIGHTLY TRAVELING」は、カポーティ『ティファニーで朝食を』の主人公のドアに掲げられている言葉から。