いま東京の食が面白い。海外のレストランを経験した若いシェフや、日本を目指して来訪した外国人シェフたちが、クリエイティビティをいかんなく発揮して新時代を生み出しつつある。そんなグローバルな動きを支えるのが、日本のローカルな生産者たちだ。環境と共存し、土地の味=テロワールを理解する彼らの存在があってこそシェフの想像力が刺激される。そんなグローバルとローカルの絶妙な均衡が生む稀有な食体験へ、いざ!
すべての料理の根源に通ずるのは
人に対する誠実さにある
宮沢賢治には生前未発表の『学者アラムハラドの見た着物』という作品がある。未完のまま世に送られたこの作品で、アラムハラドという学者が11人の子どもたちにある質問を投げかける。「小鳥が啼かないでいられず、魚が泳がないでいられないように、人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういうことだろう」と。子どもの一人セララバアドは答える。「人がしないでいられないことは善である」と。
東京・代々木上原の閑静な住宅街の中に佇む、進化系ガストロノミー〈セララバアド〉は2015年にオープンした。オーナーシェフの橋本宏一さんは、先の宮沢作品に幼少の頃に触れ、この一節に感銘を受けた。「料理でなくても、すべての仕事の根源にあるのは誠実さだと思います。環境を考慮した食材を使うのはもちろん、美味しいこと、そして驚きがあること」。それがこの店たる所以。例えば、蓮の葉の上に落ちた水滴を、蓴じゅん菜とジュレで表現した「朝露」。両手で蓮の葉を持ち、そっと口に運ぶと、梅昆布茶の風味がふわっと広がり、蓴菜の歯応えの良さを楽しめる。シラスとアンチョビによる砂浜に、ハマグリでムース状に描いた波が寄せる「海辺」。口に広がるのは、豊かで潮騒が響く海そのもの。橋本さんが日本を巡って出合った食材で、四季の移ろいをクリエイティビティとともに表現しているのだ。
シェフの橋本宏一さんは〈エル・ブジ〉のフェラン・アドリアの下で研鑽を積み、 帰国後はマンダリン オリエンタル 東京〈タパス モラキュラーバー〉料理長を経て、2015 年に独立を果たす。
クリエイティブな面で彼に影響を与えたのは、スペインで分子ガストロノミーとして名を馳せた〈エル・ブジ〉だ。常識にとらわれない新たな料理の形を体現した同店は2011年に閉店したが、各国のシェフにとって、今なおベンチマーク的な存在でもある。橋本さんは、十数年前に雑誌『BRUTUS』で店を発見し、すぐに「ここで働きたい」という思いに駆られる。タイミングよく、〈エル・ブジ〉のオーナーシェフであるフェラン・アドリアが講演で来日していたため、当人へ猛烈にアタック。その時点では断られるも、めげずに単身スペインに飛び、三ツ星レストランで経験したのち、伝手を頼って念願の〈エル・ブジ〉で働くことになる。
海のワンシーンを表現した、コースの中の一皿「海辺」に使用する海藻やハマグリ。
「運が良かったです(笑)。短い期間だったけど、フェランから学ぶことは多かった。新しいことに挑戦することが彼のテーゼであり、店のアイデンティティでした。それは料理だけでなく、接客やカトラリーまで細部に至る。これは今でも自分の中で土台となっています。ただ、今の僕にとっては驚きを作り出すことがすべてではありません。驚きという体験を提供することはとても大切ですが、その日、お客様が何を食べたのか記憶に残るような一皿を生み出していく。驚きが強ければ味も極力シンプルになるように努める。バランス感覚がとても重要なのです」
12品のコースを元にして紡がれた短編小説がテーブルの前に置かれる。コースに登場する料理をモチーフに、主人公・セララバアドの旅が表現される。
インスピレーション源は映画や歌など多岐にわたる。アイディアノートに書き溜めたものから生み出しては失敗し、一冊のストーリーに編んでいく。だが、その“誠実”な物語はまだ終わらない。『学者アラムハラドの見た着物』と同じく、ここ東京の〈セララバアド〉の旅もまだ未完なのだ。
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