真冬のストックホルム中央駅から寝台特急に乗り1,000km以上離れた町イェリバーレに向かっていた。その隣町のヨックモックで開催されている北欧の先住民であるサーミのウィンターマーケットに行くためだ。このマーケットは1605年からの歴史がある伝統的な催し。小さな町で行われる、年に一度の盛大な祭りにはたくさんの人が訪れる。近郊の宿泊施設の予約は前年の9月から解禁になり、すぐに予約で一杯になる。予約が取れないことを懸念して私はそれより前に隣町のイェリバーレに宿を取っていたのだ。


北極圏2日目-22℃。スウェーデン語で「低い山」を表す〈Dundret〉という山を半日かけて散歩し、町に戻ると時刻は午後5時。夜が来る前の空は一瞬カラーフィルターをかけたような夢見心地な色に染まっていた。気づけば北極圏に来てからというもの信号を見ていない。

北欧の冬の夜の闇と軽い吹雪のおかげで大して何も見えない車窓に落胆し眠りにつく。目が醒めると列車は北極圏少し手前の町ボーデンに停車していた。コンパートメントで顔を洗い、車窓からやっとうっすらと見えはじめた景色を眺めていると、やがてイェリバーレに到着した。線路沿いにあるらしい〈ARCTICCIRCLE〉の看板は見えなかったけれど、私は確かに北極圏にいた。


トナカイと共に暮らしてきた先住民族

サーミは北欧スカンジナビア半島とロシアのコラ半島に居住するトナカイと暮らす先住民で、日本のアイヌ、アメリカ・カナダのインディアンやイヌイットなどと同様に国からの同化と差別、抑圧の対象にされた。スウェーデン王室による1500年代から始まった迫害は20世紀まで続いた。教育の隔離的政策や二重課税、そして断種法の犠牲になってきた。ヨックモックのウィンターマーケットも元は国がサーミの対外的な収入の租税を徴収したり、キリスト教に改宗させたりするために始まったそうだ。

スウェーデン政府がサーミを先住民と認めたのは1977年のことで、議会に彼らの代表が参加するようになったのもまだ最近のこと。そんな少数になりゆくサーミの復権活動は1995年のスウェーデンのEU加盟後に広がった。政府はスウェーデン最北端であるノールボッテン県のうち、キルナ、イェリバーレ、ヨックモック、アリエプローグの4市をサーミ地域〈Sápmi〉として認定し、そのうち3市にまたがるラポニア地域を世界遺産として登録することに成功した。現在ヨックモックのウィンターマーケットは北欧最大級で、文化を伝承すると同時に、減少するサーミ同士の交流の場ともなっている。


サーミの象徴的なナイフ。鞘と柄はトナカイの角と革で作られている。トナカイを飼育するサーミは自分のものとわかるように耳を各自特徴的に切って印をつける。


鞘の意匠を見ているとアイヌに近いものも。気候が寒冷であったり厳しいほど緻密になるのかもしれないと感じた。

街の中心から2kmほど続く小径に小さな店がずらりと並ぶ。到着した頃はまだ人もまばらだったが1時間もすると小径は人でいっぱいになった。マーケットでは日本でも人気のある白樺の木の瘤をくりぬいたカップ〈Kuksa〉やトナカイの革や角を使った〈Duodji〉と言われる手工芸品、各種動物の毛皮、加工肉やチーズをはじめとするサーミの伝統的な製品から料理、冬を暖かく過ごすためのウール製品や暖房器具、果てはスノーモービルに至るまで幅広く出品されていた。犬ゾリが体験できたり、コータと呼ばれるテントのような移動式住居の中でチーズ入りコーヒーのカッフェオストを味わえたりと、昔のサーミの暮らしも体験できる。


粗悪な土産物から〈Duodji〉を守るため、認定された作家の作品にはシリアルナンバー入りのタグが付く。イェリバーレのミュージアムで展示されていたアーティストによる現代的なデザインのブレスレット。


コルトは襟元に地域特有のデザインが入る。

ヨックモックには〈Ájtte〉というサーミの博物館があり、色鮮やかなフェルトを使用したコルトと呼ばれる民族衣装や手工芸品の〈Duodji〉の歴史的な資料が保管展示されている。マーケットの会期中は即興歌ヨイクのライブや講演会、ワークショップ等も随時行われていた。真っ白に凍った湖で行われるトナカイレースは白熱し、物腰穏やかなスウェーデンの人たちが珍しく興奮している姿が見える。明るい時間は僅か数時間、午後2時を過ぎると早くも夜の帳が降り始める。



〈Ájtte〉でトナカイレースはどこでやるのか聞くと湖だと言われた。湖? と一瞬戸惑ったが裏道を歩いて行くと湖が一面凍り15 ヘクタールほどの雪のグラウンドになっていた。ソリには人が乗り、トナカイを止める時は人力。皆で手綱を掴んで引きずられながら止める。

彼らをそこに留めるもの

かつてトナカイと暮らし、トナカイで生計を立てていたサーミだが、今その飼育に関わるのは10~15%ほどだそうだ。そもそも私は〈Duodji〉の中でも〈Tenntråd〉という錫のワイヤーをフェルトやトナカイ革に刺繍する手法に興味を持ち、それをデザインに取り入れたブランドを立ち上げるための視察で訪れていた。インターネットのおかげで直接見たこともないことを知ったふりをして取り繕うことが簡単にできてしまうけれど、それで始めるのは嫌だった。実際、出回っている情報以上にトナカイは生活の糧から、サーミと共に生きる象徴的な意味合いが強い存在になっていた。マーケットでもトナカイ革を使った〈Duodji〉を売る店は極めて少なく、トナカイ肉の料理の屋台は1つだけだった。自分の目で見に来てよかった。1頭1頭大切に育てられている彼らの家族であり友人であるトナカイの革を簡単には使いたくないと私は感じた。


5㎜ほどの雪の結晶は肉眼でもはっきりと形が見え、一つ一つが溶けることなく重なり合い個々の姿を維持している。その結晶の樹枝に光が当たり、町はどんな時間でも宝石を撒き散らしたように輝いていた。雪の結晶のイメージからきているであろう意匠も多い。

最終日の朝、北の街キルナへ向かう列車の中で清廉なラポニアを照らす静かな朝焼けを見た。降り積もった雪のせいで首を傾げるトウヒや松が続く、道もない、人も動物もいない手つかずの大地。それを低い位置を辿る陽の光が柔らかく穏やかに照らす。ただただ美しかった。この景色をずっと見て生きてきた人々の記憶や感覚を心底羨ましいと感じた。トナカイを手放した暮らしをする今、もっと過ごしやすい地域に移ることはできるだろう。しかし、どんなに厳しい環境であろうと、ここを離れない人々がいる理由は確かにあった。

上原 渚

UNGUマニキュアリスト。2001年よりマニキュアリストとして活動を始める。サロンワークをメインにスチール・ムービー等のネイルデザインの他、国内外でセミナー等を行う。世界中のハンドクラフトに目がなく「やってみたい」とチャレンジしたもの数知れず。
Instagram:@ungungu