90年ほど前に秋田で生まれ、現代に至っても活躍し続ける6号酵母。現存する最古の清酒酵母が、なぜ支持されるに至ったのか。革新的な酒造りへの想いは、現・8代目当主である佐藤祐輔さんに受け継がれている。

 人類と酒の付き合いは長く、その地域の文化や風土に根ざした酒づくりが各地で行われてきた。ワインは紀元前4,000年頃から飲まれている。エジプト文明の壁画にビールの製法が詳しく記されているのは有名な話だ。日本酒は8世紀頃(奈良時代)に製造方法が確立されている。やがて酒は庶民にまで広まるようになり、地域の誇りとなって、多くの人々に愛されてきた。つまり、酒を侮辱することは相手を侮辱するに等しい。逆は幸せな関係を生むだろう。

 酒造りが盛んな秋田は、広い地域で交易を行った北前船によって栄えた。また、豊かな地下資源も多く、鉱山では全国から技術者、労働者、商人たちが集まった。彼らを魅了したのが秋田の酒だ。嘉永5年(1852)、初代佐藤卯兵衛により創業した蔵元が新政酒造。当初は〈やまウの酒〉と呼ばれていた。5代目の時代、全国新酒鑑評会において連続の首席を獲得。超高度精白の実践、長期低温発酵法の確立など、名前の通り革新的な酒造りを行った。新政は現在最古の清酒酵母であるきょうかい6号酵母を誕生させるなど、吟醸酒製法の確立において大きな功績を残した。そして現在、この蔵元を牽引するのが8代目当主である佐藤祐輔さんだ。彼もまた5代目同様、日本酒の世界に大きな変革を起こしている。


 北国である秋田に遅い秋が訪れようとしていた。この秋は佐藤にとって苦い思い出になるだろう。酒造りに使う酒米を2町(1町は約100m×100m)、そしてその一部で無農薬米を耕作していたが、東北の天候不順が原因で結果は思わしくないことが予測された。インタビューは稲刈りまであと数週間というタイミングで行われた。

―酒を仕込む無農薬の酒米作りを始めたそうですね。

「今、秋田市の鵜養(うやしない)地区という山間地で米を作っています。ですが、新政で必要とする米は約90町。全然まだ足りない。しかも冷害でひどい病気になってちょっと大問題ですよね。米栽培は右腕の執行役員が担当しています。彼は以前まで醸造責任者でした。無農薬米の栽培は、酒造りより難しく大事と感じたための采配です。醸造のほうは若くて、舌がよく、勢いがある奴が担当すればいい。うちの蔵は確かに変化が早い会社かもしれません。でも、そうでもして変えていかないと、組織は自らの劣化版になっていくような気がします。
 

ビートニクと日本酒の関係

――佐藤さんの代で、酒米を秋田県内産に変更したり、すべての酒を酒米と麹だけの“純米酒”に移行したり、手のかかる江戸時代の製法である生酛(きもと)造りを復活させるなどしました。当初は“若社長のご乱心”と思われたのでは?

「今でも思われていますよ(笑)。だけど、税理士の言いなりや、ビジネスの定石通りにやっていたら今はないと思う。結果として、〈No.6〉は新政の看板になってくれた。自社の遺産と自分の感性を組み合わせたことで、世にも珍しい酒になったんです。秋田には秋田杉といういい木材がある。自伐型林業(森林の管理・経営を自ら行う林業)も行う予定です。広葉樹でオーク樽を作ってもいい。昔は日本酒を造る側がそこまでカバーすることはなかった。けれど、それらがないと日本酒の多様性は狭められてしまう。“日本酒のロマン”が失われてしまう。通常の酒蔵的とはいえない我々のすべての取り組みは、そのロマンを取り戻す試みです」

――〈No.6〉の名前の由来でもあるきょうかい6号酵母(通称新政酵母)は、古くから全国の酒造りで使用されている。酵母のルーツは〈新政〉ですね。

「当時6号酵母は化石扱いされていたので、あえてこれで勝負してやろうと思った。だから、これは業界への挑戦だったのです。『あなたたちが思っている古いものは、本当に古いものですか』という問いかけです」

――学生の頃からビートニクやブコウスキーなどの文学に興味を持っていたとか?

「ブコウスキーは好きで、彼同様に郵便局で働いたこともありました。ビートニクにはまったのは、大学に入ってから。高校の頃は興味があってもそんな話ができる人が全くいなかったな。インターネットもない時代だし。東京の大学に行ったらいるんじゃないかと期待をしたけれど、東京にもさほどいなかった。ビートニクたちは禅やチベット仏教など東洋思想に影響を受けている。どうも日本人ってのは、日本のよさが本質的にはわかっていないように思う。外国人が翻訳してきたときにわかるのかなあ。僕もそういう感じなんですよ。ギンズバーグやケルアックが日本の僧侶に教えを習っているっていうことで日本のよさってわかる。地元にいるだけでは、地元の宝物ってわからないから。俯瞰して考えると……多分、僕が農業や林業をやると言い出しているのも、どこかでビートニクや文学の影響があるのかもしれませんね」

新政で無農薬米の聖地をつくる

 取材後、鵜養地区の“失敗した田んぼ”に連れて行ってもらった。稲は黄金色に輝いているが、枯れたような部分も少なくない。その褐変した籾を割ってもらうと、中は空っぽだった。「いもち病なんです」と佐藤さんは言う。「これ以上放置すると他の農家に迷惑がかかるので、薬剤を散布しなければならない」。新政酒造が自ら無農薬米を育てるという計画は、今年、挫折に終わったようだった。

 田んぼを見渡すことのできる高台から先程の田んぼを一緒に眺めた。田と田の間に家が建ち、そこには営みがある。しかし、高齢化が進み多くは今後の稲作に不安を抱えているという。

「今年は失敗したけれど、いずれこの地を無農薬酒米の聖地として復活させたい」。この地にこだわるのには理由があった。がむしゃらに酒造りをしていた時、心身を壊してしまい内にこもる日々が続いた。休息が足りなかったのだろう。眠れず、身体も思うように動かず、とにかく疲れていた。その時に、どういうわけかこの風景に惹かれた。やってきては散歩を繰り返した。医者にかかっても治らなかった心身がこの地によって楽になった。「僕はどうしてもここに恩返しはしなくちゃいけない。勝手にそう思っているんです」

参考文献 asahibeer.co.jp/csr/tekisei/health/history.html

新政酒造
秋田県秋田市の嘉永5年(1852)創業の酒蔵。8代目当主佐藤祐輔(さとうゆうすけ)さんが率いる。佐藤さんは酒類総合研究所で酒造りを学び、2008年新政酒造に入社。以来、独創的な日本酒を造り出している。