十字軍も無敵艦隊も夢中になったスパイスの魅力って?

登場以来、人類を引きつけてやまないスパイス。中世イタリアではヴェネツィアが香辛料貿易で一大国家を築き上げ、スペインとボルトガルはスパイスを巡って大海原で争った。当時のスパイスは、同量の金と同じだけの価値があったという。そんなスパイスの歴史をたどってみると、紀元前3000年ごろのインダス文明に遡る。インダス川で行われていた交易でエジプトやメソポタミアで栽培されていた植物がこの地に持ち込まれると、その香りや独特の風味が重宝され、いつしか料理に使われるようになった。おまけにこれらの植物は生薬としても優れていることが判明する。食欲亢進、消化の促進、身体を温めて発汗を促すなど、心身の健康に大いに役立つこれらの薬草は、薬食同源の概念を育んだ。このころに書かれた古代インドの聖典の一つ、『リグ・ヴェーダ』にはおよそ1,000種の生薬についての記述がある。この時代に飛躍的に進んだ生薬の知識が、後のアーユルヴェーダの礎になったといわれている。


コースからの一皿。ガラムマサラ、チリパウダー、ターメリックパウダーで調味した新鮮なブリにベイリーフを添え、バナナの葉で包んで蒸し焼きに。「バナナの葉で包むと、肉も魚も野菜もふっくらと蒸しあがるんです」と伊藤シェフ。

こうして人は身近にある植物の根や実、葉や茎を食用として、あるときは薬用として生活に取り入れるようになった。こうした食体験は各国料理や文化に受け継がれていくのだが、それぞれのスパイスの使われ方にはその国・地域独自の気候や事情が垣間見られて興味深い。例えばインドや東南アジアでは暑さに打ち勝つ身体を作るため、食欲亢進や滋養強壮の効果を備えた辛みのあるスパイスが、肉食文化が発達したヨーロッパでは広大な大陸を移動する際、肉やそのほかの食料を保存するため殺菌・防腐効果の高いスパイスが重宝された。日本では素材そのものの持ち味を引き立てる薬味的なスパイスの使われ方が発達したことも、新鮮な素材が比較的手に入りやすかったお国柄を表しているだろう。
中でも独自の発展を遂げたのがインドだ。宗教上の理由から野菜を中心とした料理法が発達、食材に制限がある中で味わいにバリエーションをもたらすスパイスは庶民の生活にしっかりと根付いた。東京・押上にあるスパイス料理店、〈スパイスカフェ〉のオーナーシェフ、伊藤一城さんは、現地でインドならではのスパイス文化を体験している。「レストランの厨房で誰かが指を切ると、血止めとして傷口に大量のターメリックパウダーをかけるんです。カルダモンは酔い止めに、歯痛にはクローブを。インド人にとってスパイスとは調味料であり薬であり、暮らしの必需品なのです」


〈スパイスカフェ〉の夜のコース、「スパイスを楽しむ7つの皿」¥5,000。冬は辛味を控えめに、また甘みのある根菜を引き立てる、苦味のあるスパイスを多く使う。

世界を放浪する中で見つけたスパイスに、日本の繊細な季節感を組み合わせて

〈スパイスカフェ〉オーナーシェフの伊藤一城さんがスパイスと出合ったのは、世界各地を放浪する旅のさなかだった。早朝から深夜まで仕事に没頭する、ワーカホリックそのままの当時の生活に疑問を抱き、世界の果てを目指した20代。SNSが普及していない時代にあって、辺境の国々では見るもの、聴くもの、全てに衝撃を受けたという。
「中でも料理は特別でした。いまの時代なら安くておいしいレストランやカフェの情報が簡単に手に入るけれど、英語のメニューもない地元の食堂で、身振り手振りでオーダーする。どんな料理だろう、なにが入っているんだろう。情報がないからこそ、想像力を掻き立てられる。もちろん大失敗もあるけれど、それでも毎日ワクワクしていました」


スパイスを効かせたバニラアイスを主役にしたスイーツ。シナモン、スターアニス、カルダモンのエキゾティックな香りのバニラアイスが、ヘーゼルナッツのタルトの香ばしさを引き立てる。シナモンと砂糖でぱりっと揚げたサツマイモを食感のアクセントに。


シナモン、クローブ、カルダモンとたっぷりの茶葉をミルクで煮た、〈スパイスカフェ〉自慢のチャイ。高いところからカップに一気に注ぎ入れ、チャイにたっぷりと空気を含ませる。濃厚で甘さはほどほど、フレッシュなスパイスの香りが引きたつ一杯は、病みつきになるおいしさ。

3年半、48ヶ国にわたる旅の中で、「観光地には出かけない」「地元の人が利用する、ローカルの市場に出かける」というルールを自らに課した伊藤さん。いつしか市場巡りが高じて料理にハマり、一般家庭にステイして郷土料理を教わるようになっていた。興味深かったのは、文化も民族も言葉も異なるのに、同じ手法の料理が世界中に点在していたこと。例えば、アフリカ、アジア、中近東の国々で日常的に食べられている煮込み料理。食材は全く違うけれど、味わいの要は共通していた。それがスパイスだった。
「特に南インドで衝撃を受けました。それまで僕が日本で食べていたカレーって、北インド料理のことを指していたんですね。それに対して南インドの家庭料理は、これまでのカレーやスパイス料理とは全く別物。多種多様な野菜料理があり、それぞれの食材を引き立てるスパイスが隠し味に使われている。スパイスの一つ一つに際立った個性があって、組み合わせ次第で味わいの幅は無限に広がるんです」

スパイスとの出会いから、料理に生きる決意をして帰国。イタリア料理とインド料理を学び直し、2003年、生まれ育った押上に〈スパイスカフェ〉をオープンさせた。ここでは、日本の繊細な季節感と本場のスパイス使いの 技を融合させた、新しいスタイルの料理を提案している。昨年はディナーコース、「スパイスを楽しむ7つの皿」もスタート。牡蠣に山菜、ブリ、菜の花。意外とも思わせる旬の和食材にスパイスを駆使して、日本にありそうでない味、これまで出合ったことのない組み合わせを見せてくれる。
「新鮮な食材を出汁が引き立てるという和食の考え方をスパイスに置き換えて、春夏秋冬の恵みを味わう。そんな、日本人ならではのスパイス料理を追いかけていきたい」

伊藤一城

1970年、東京生まれ。27歳のときに勤めていた空間デザインの会社を辞めて世界一周の旅へ。ニュージーランドでの1年間のワーキングホリデーを含め、3年半で48ヶ国を訪れる。旅の中でスパイスと料理の面白さに目覚め、帰国後、料理人を志す。イタリア料理店、インド料理店で数年間の修行の後、2003年に〈スパイスカフェ〉をオープン。

SPICE CAFE
東京都墨田区文花1-6-10
03-3613-4020
ランチ(水、木、金のみ)11:30~14:00 L.O. ディナー18:00~20:30 L.O. 
ランチは予約不可、ディナーはコースのみ、要予約
月、火 定休
spicecafe.jp