「インドには生きた手仕事がある」そう語るのは、ISSEY MIYAKE INC.のブランド〈HaaT〉トータルディレクター皆川魔鬼子氏。テキスタイルデザイナーとして第一線で活躍してきた彼女が、約40年前のインドで目にしたのは、使い込まれ人々の体に良く馴染んだ美しい布の数々だった。そしてその光景は、現在も〈HaaT〉のなかで生き続けている。
最新技術を駆使し、新たなものづくりに挑戦し続ける彼らは今なぜ「手仕事」という、とても原始的な方法を選択するのだろうか。第3話では「伝統」との向き合い方について、アシャ・サラバイさんに話を聞いた。
工房で話をしてくれたアシャ・サラバイさんが、「まだまだあなたに話したいことがあるわ」といって翌日自宅に招いてくれた。
まるで森のように広大な敷地の一角に佇むその家は「サラバイ邸」と呼ばれ、巨匠、ル・コルビュジエが設計したことでも知られる。敷地内の一部は、インド屈指のテキスタイル博物館キャリコミュージアムとして公開されているが、サラバイ邸は個人宅のため普段は非公開。現在もアシャさんの夫スリッドさんや、彼らの友人や家族が集まり、ここで食卓を囲むこともあるという。
そんなサラバイ邸は、コルビュジエの建築のなかでも最高傑作のひとつと言われ、その所以はインドの自然との関係にある。風の調節が自由自在な前面開口の回転扉や、屋上の庭園、庭のプール…… 建物の随所には、モンスーンや日差しの強いインドの気候風土を考慮した工夫が多くみられる。またサラバイ家の強い意向もあり、多くの木々を切ることなく、それを生かす形で建設は進んだ。こうした自然への配慮や敬意が、この家をさらに美しいものにしているのかもしれない。
部屋の中を見渡しながら、アシャさんが言う。
「本当にここは美しいもので溢れているの。でもね、『美しいもの』として見てしまうことで、輝きが消えてしまうことがあるわ。どんなに素敵な建物でも、鑑賞するものになればすぐに化石になってしまう。それは伝統や手仕事も同じこと。美化しすぎてはいけないの」
目を輝かせ建物を見渡していた私に、アシャさんの言葉が深く刺さった。これまで見てきた職人たちの手仕事や彼らが受け継いできた伝統と、私たちはどう向き合えばいいのだろう。そのヒントを知りたくて、彼女に話を聞いた。
伝統は誰のものでもない
— アシャさんは「伝統」という言葉をどう捉えていますか?
伝統は川のようなものだと思っています。流れて枝分かれして、かたちを変えていく。聞き慣れた表現かもしれませんが、変わらない伝統なんてないのです。
同時に「伝統」という言葉は、とても曖昧で難しいもの。なかには「これは私たちの伝統だ」と、その伝統を必死になって自分たちのものにしようとする人たちがいます。これは、国のアイデンティティ問題として政治的な目論みに利用されることもしばしば。しかしそもそも伝統とは、人々が旅をし、ものを運び、意見や技術を交換することで生まれた、さまざまな文化の掛け合わせでありハイブリッドなものです。伝統を所有するなんてことは意味のないことです。
例えば、伝統的な織りの技法イカット。日本では絣(かすり)として知られていますが、発祥の地はインドであると強調する人たちもいます。ただイカットはインドや日本に限らず、インドネシアなどアジア全域でみられる技術です。ここグジャラート州では、ダブルイカットという技術があるように、それぞれの国で独自の発展を遂げています。つまり、この「イカット」という伝統は誰のものでもありません。
掛け合わされることで強くなる
— 伝統はハイブリッドなもの。忘れてはいけないことですね。
何かと何かが混ざり合うことは、そのものをより豊かなものにします。これは技術や考えに限らず、自然界でも同じです。ダーウィンの進化論でも書かれていますが、様々な種類掛け合わされることで生命体としての強さも生まれます。交わることは、私たちにとって欠かせないものなのです。
今の時代は孤独にみえる
— 今はSNSなどで、世界中の人と簡単に繋がれる時代になりました。文化の交わる機会は増えたのでしょうか?
便利なテクノロジーのおかげで、世界とすぐに繋がれるようになったことは確かです。ただ一方で、面と向かった会話は減っているように思えます。街の食堂やカフェも、昔はもっとうるさかったですよ。私の高校生の孫もそうですが、友達とテーブルを囲んでお茶をしていても話している相手はスクリーンの中の人。みんなまるでそれが世界の全てというような感じです。
当然のことですが、SNSで見るのと実際に会って話すのとでは、その間に生まれるエネルギーが違います。実際にこうして話すことで、相手の体温や息遣いすべてを感じ取れる。これには、人の考えを変える力があります。
テクノロジーはそのきっかけにすぎない。道具として使いこなさなくてはいけないものです。
— この場所も交わりの場となってきたのでしょうか?
昔から、ここサラバイ邸には世界中から多くのアーティストが集まり、昼夜を問わず熱い議論が交わされていました。いまでこそ職人やアーティストはひとりで黙々と取り組むイメージですが、昔はもっと交流していたんです。一人で自分と向き合う時間も、もちろん大切です。ただもう少しだけ、誰かが入る余白を作ってもいいのかもしれない。所詮、ひとりのアイディアにも限界があり、できることだって限られていますから。
ハグで森を守った小さな村の話
— 便利な道具があるいま、もっと国をまたいでのコラボレーションがあってもいいはずですね。
人と人が意見を交わり、一緒に動くことで世界は変る。真顔でこんなことを言うと、夢見る少女かと言われるかもしれませんが、これは全く嘘のない本当の話です。
1973年、インド北部ウッタラカンド州で起こったThe Chipko movement(チプコ運動)という森林保護運動がありました。聞き慣れない言葉ですが、「Chipko」とは、ヒンディー語で「抱擁」を意味。その名の通り、村人たちは手を広げ、木々に抱きつくことで命がけで森林伐採を止めました。この運動は非暴力の視点で世界中から注目を集めましたが、私がなにより心を打たれたのは、村人全員が一丸となって行動したことで森林伐採を止めることができたことです。
私たちはあきらめない。
— 人を巻き込む勇気も大切ですね。
何かにNOと声をあげたくても、「私に何ができるんだ」と思ってしまうかもしれない。でも話さないことには何もはじまらないのです。まずは身近な家族や友人に話してみる。そしてそれを聞いた彼らがまた彼らの友人に話をする。すぐに変化はないかもしれないけれど、それが多くの人を巻き込んでムーブメントになったとき、変えられる力を十分にもっています。
私もよく孫にこういう話をするんですが、あまり聞く耳をもってくれません。話しても無駄かもしれないと思うときもあります。でもわたしはあきらめない。もしかしたらふとした瞬間に思い出してくれるかもしれない、もしかしたら私の知らないところで友人とその話をしてるかもしれない。そんなことを心のどこかで思いながら話し続けます。
みんなでやれば変えられる。だから私はあきらめない。
※ 写真3, 4, 8, 10枚目は、敷地内にあるスタジオにて