自然のパワーが溢れてくるような、鮮やかな色とりどりの羽飾りや装飾具。実用的に工夫された道具は、均一化された製品にはない手触り、日本の民芸品や西洋のアンティークとはまた違った佇まいで迎えてくれる。山口さんのコレクションの一部が展示された空間には、地球の生命力が満ちていた。

各地から集まった表現者とともに行う合同展示会を兼ねたマーケット「TRACING THE ROOT」にて開催された特別展示「Amazon Folk Museum」では、文化人類学者・山口吉彦さんが約40年間に渡りアマゾンで収集したコレクションの一部が公開され、大きな反響を呼んだ。アマゾン流域に暮らす30もの先住民族を研究のため訪れ、物々交換などによって収集した品々は2万点にのぼり、個人の収集ではおそらく世界においても最大規模と言われている。

貴重なコレクションが収蔵されていた山形県鶴岡市のアマゾン民族館が2014年に閉館したことを受けて今回の展示が開催された。彼がいかにしてアマゾンに惹かれ、実際にアマゾンで生活しながら資料を収集するに至ったのか。山形県鶴岡市の三瀬地域で山伏文化の活性化や人類学、地域文化の調査研究など多岐に渡って活動を行っている〈日知舎〉成瀬正憲さんが聞き手となり、山口さんの話を聞いた。


自然との共生を伝える遺産
山口吉彦×成瀬正憲

成瀬「Googleマップって現在地と目的地を入れると最短ルートを教えてくれますよね。山口先生の旅はそれとは全く真逆。目的地までを単線で結ぶのではなく、アマゾンの川のように蛇行して行きつ戻りつして、人や美しいものと出会ったことが、豊かさをもたらしていると思います。山口先生のお話も、あっちに行ったりこっちに行ったりジャングルの中を行くような感じなので、今晩中に終わるかどうかわかりません(笑)。僕はナビゲート担当でいきますね」

そう口火を切った成瀬さんが、まずはアマゾン民族館について説明してくれた。


現地で愛用していた探検帽を被った山口さん

山形県鶴岡市にはかつて2つのアマゾン博物館が存在した。アマゾン自然館では、山口さんが生死をかけて収集した動植物や昆虫の標本などのコレクションを展示。民族館ではアマゾン流域の先住民と生活を共にし、物々交換などで入手した道具、装飾具、仮面などの貴重な品々が収蔵されていた。日本がワシントン条約に加盟する1980年以前に収集されたものであり、またアマゾンの急速な開発や環境の変化によって現在では入手困難になった歴史的価値の高い文化資源だ。

山口「3mくらいある毒ヘビが飛びかかってくるので、分厚い探検服で防備し、頭を守るために軽く硬い通気口がある探検帽を被っていました。船2艘をチャーターして、物々交換の元になるものを積み込んで向かいます。物々交換で一番喜ばれるのは刃物。鉄鉱石はたくさんあるけど製鐵の仕方は彼らには伝わっていないので。女性が喜ぶのはビーズですね」

展示されているお面や、羽飾り、首飾りなど、その一つひとつに山口さんと現地の人との物語があるのだろう。アマゾンの奥地から遠く離れた日本で、今私たちが目にできること自体が奇跡のように思える。

山口「彼ら民族も当時とは変わっているし、動物も生態が変わっている。未来も現在も、このような“手仕事”が現れない状態にあります」


羽には呪力が、不思議な力が込められている。「鳥は天上界と人間界を結ぶメッセンジャー」という信仰があり、羽を非常に珍重する。

昆虫好きの少年は『悲しき熱帯』に出合い
アマゾンへ冒険に向かった

山形で自然が身近にある環境で育った昆虫が大好きな少年は、図書館の昆虫図鑑や『アマゾン探検物語』に影響を受け、小学校高学年で「アマゾンに行きたい」という夢を持った。その夢が叶ったのは30代のはじめ頃。現在77歳の山口さんは、およそ40年間もアマゾンの神秘に魅せられていることになる。

山口「(アマゾンの先住民は)文字がないからって、幼稚だとか原始的だということではなく、自然の中で生きて行くための知恵や社会組織も込み入ったものがある。フランスの構造人類学者クロード・レヴィ=ストロースの本『悲しき熱帯』に惹かれて、昆虫だけでなく住民を訪ねて、彼らと生活を共にして資料を収集したいと思ったんですね。狩りに同行したり、魚を採りに行ったり。採集に行ったり」



山口「フランスのボルドー大学の農学部出身でした。本当は文化人類学をやりたかったんですけど醸造を学んでたんですね。頂き物のシャトーマルコーをリュックサックに入れてヒッチハイクして、泊めてくれる人にワインあげたりしてね」

成瀬「その頃から物々交換していたんですね。レヴィ=ストロースとの出会いは?」

山口「『悲しき熱帯』も読んで、民族学の方に転向したいなって思ったんですけど……転科しなきゃいけない。そこで選んだのがブルゴーニュです。ボルドーと並ぶもう一つのワインの産地ですね。そこでまずは農業地理学を専攻して。もっとグローバルに、特に熱帯の農業を勉強してみたいということで。民族学も聴講できたし。それでさらに先住民の調査研究をしたいと思ってアマゾンに行くことになりました。」

100歳で亡くなった(1908年〜2009)20世紀を代表する知識人クロード・レヴィ=ストロース。代表著作は『悲しき熱帯』『野生の思考』など。特に1960年代に発表された『野生の思考』の中で、旧来の西洋の自文化中心主義(アマゾンの住人を「未開人」とし、文明をこれから発展していく人種と捉えた)を批判し、「アマゾンの人々も西洋人と違う形の科学を持っている」という説を非常に精密に、説得力を持って説明した。彼らは、西洋の「近代科学」に対し、自然現象の移り変わりなどからつくられる「具体の科学」を持ち、それは「近代科学」に決して劣るものではない。彼らの世界観は我々とは異なるが、優劣関係はなく「野生の思考」が生きているのだ、と。また「野生の思考」に対して文明化された思考を「飼い慣らされた思考」と呼んだ。この考えは世界に衝撃を持って迎えられ、構造主義の幕開けとなった。


その後、アマゾンに渡るための準備期間としてNYに半年間滞在。ヒッチハイクや安いバスを乗り継ぎ、ボストンやカルフォルニアなどを訪れた。

山口「アマゾンに行く前に情報を手に入れなければならなかったので。あとはNYにある日本レストランの皿洗いのバイトを手の皮がすりむけるほどやりました。給与を貯めてアマゾンの移動費にして。しかも直接行くんじゃなくて、メキシコ、グアテマラ、パナマ、コロンビアを経由して…..」

そして1960年代後半、ブラジルの中心都市のベレンにて行政からの打診を受け、妻の考子さんと2人で日本人学校を作ることになる。それから長期にわたるアマゾンのフィールドワークを始めた。

成瀬「コレクションの2万点はどのように収集されたのですか? 初めて会った素性もわからない人に譲ってくれるものではないですよね?」

山口「ないですね、まず彼らに非常に警戒心があるわけです。わたしの場合、モンゴロイドだったっていうのがよかったんだと思います。日に焼けると黒くなって彼らにとっても親近感がある。子ども達もとても懐いてくれました」

そして徐々に『アミーゴ(親密な友)』と呼ばれるほどの関係を築いていったそうだ。また、特別許可を申請し一般の人が入れない奥地へと足を踏み入れていった。携帯電話や無線機などの連絡手段の無い環境で、帰還する日程も曖昧だった。今度はブラジルで教えている学校の子ども達に迷惑がかかってしまう……ということで、教師を退職し、本格的なアマゾンの専門研究がスタートする。

成瀬「専門研究は、大学に所属して行っていたんですか?」

山口「エビリオ博物館っていうところにしょっちゅう出入りしていて、生物学者、民族学を研究している人たちとの交流がありました。色々許可をとるのにも推薦状を書いてくれたりとか。そういう意味では私はラッキーでした。現地の人でいろんな意味で支援してくれた人がいました」


自然を後世に伝えることが義務であり、希望でもある

山口「近年では大きな気候変動などもありますね。特にアマゾン大火災では彼らはどんどん行き場を失って……。開発を優先する大統領のもとで(乾期のアマゾンでは火災が起きることはありうるが)、今回はもう少し人為的に広がっているんじゃないかと言われている。先住民の人たちは森があって、生きている。森がなくなったら生きていけなくなるわけです」

成瀬「生活を共にする中で、先住民から学んだものは?」

山口「彼らの生活の知恵は、自然を神と崇め生態系を崩さないように生きる術です。自然との共生が基本にある生活の習慣。欧米人はかつて、『人類はどんどん進化する。先住民達は未開の人間だ』という風に言ったけれど、素晴らしい文化を持っていたんです。世界というのは、限られた薄いガラスでできているようなもの。その薄いガラスを破らないで、後世まで伝えていく。今ある自然は自分たちだけに与えられたものではない。孫の時代まで残すことが、義務であり、希望でもある」




成瀬「自然との共生、ということの内実とはなんなのでしょうか?」

山口「先住民の人たちと狩りに出たときに尿意がありまして。特別大きな木があったので、そこの陰でおしっこをした。そしたら、インディオの人たちがカンカンに怒って。それまでニコニコしてた人がみんな集まって来て口々に罵る言葉を吐いたんです。その木は彼らにとって聖なる木、おしっこをかけるということは冒涜なので。一種のアミニズム、森羅万象で全てに霊が宿る。彼らにとっては神聖なもの。そういう感覚を持っているということは、自然を守るし子ども達にも伝える。小さい頃から話を聞いていて、子どもは森の木を倒したり火をつけたりするのは良いことではない、とインプットされている」

成瀬「自然崇拝、精霊信仰などと訳されることのあるアニミズム。森羅万象にスピリットが宿っているという彼らの考え方を、聖なる木におしっこをかけてしまったことで実感したというわけですね。アマゾン民族館に収蔵されてたのは、山口先生が先住民と触れ合うことで受けたメッセージを伝えるものだったと」

成瀬「人が自然をコントロールしなかった、できたとしても敢えてしなかった頃の手仕事がアマゾンにある。『野生の思考』に倣うならば、野生の手仕事。近代科学でなく『具体の科学』によってつくられている。山口さんが集めたから『山口コレクション』と呼ぶよりは、これからの私達にとっての共通した、社会性、普遍性を持った富と考えられるのではないでしょうか」


普段はヤシの木で作られた質素な装飾だが、このような装飾性の高い装具は特別な宗教的儀礼の場合や、偉大な先住民族の首長が亡くなった日に偲び、豊穣多産を祈るためのもの。彼らインディオは文字を持たないので、技術は口頭伝承によって後世に繋げてく。

冒頭で記載した通り、アマゾン民族館は2014年に閉館した。これらの資料は山形県鶴岡市の閉館した民族館の保管庫にて一時的に保管されているが、来春までにはすべて引き取らなくてはならないとのこと。しかし膨大な数の資料は山口さんの自宅に収まりきるものではない。保管場所などの課題を解決するために協力者の存在は不可欠だ。存在山口さんはアマゾン文化遺産を守る活動をこれからも続けていきたいと話す。

素晴らしい「野生の手仕事」は、現代社会を生きる私たちが忘れてしまいそうになること、しかし決して忘れてはいけないことを教えてくれた。

アマゾンは自然の宝庫であるばかりでなく、
自然と人間との共生のあり方を教えてくれる
地球に残された最後で最大の楽園です。

アマゾン研究所 HPより

その貴重な2万点のコレクションを、引き取ってくださる方、山口さんの”自然との共生”という思いに共感くださる方、何かご存知の方がいらっしゃいましたら、以下のメールアドレスまで、ご連絡をお待ちしております。
問い合わせ先:nasuhiko@hotmail.com(一般社団法人アマゾン資料館)

山口吉彦(アマゾン民族館)

1942年、山形県生まれ。文化人類学研究者。67年頃からフィールドワークを始め、アジアやアフリカなど85カ国を回る。71年からアマゾン流域の調査を開始。帰国後、地元・鶴岡市で、国際理解と交流促進に尽力し、アマゾン民族館の館長を務めた。 アマゾン研究所

成瀬正憲(日知舎)

山形県鶴岡市の三瀬地域で、山伏文化の活性化、月山山系の恵みである山菜・薬草・きのこの採集と流通、土地に暮らす人びとの手仕事のリデザインと流通、アトツギ編集室での諸事業、古民家改修、中学生から大人までの自主勉強会、大学での文化人類学講師、地域文化の調査研究とそれにもとづく表現活動を行っている。