もはや私たちの食生活に欠かせないチーズやワイン。北海道・道南に地産のミルクやぶどうを使い自然派のチーズやワインを作る農場とワイナリーを訪ねた。彼らの目指す、理想の環境と味とは。

ピカソの絵は、もはや「親しみやすい古典」と言えるだろう。美術館で彼の絵を見て頭をかかえることはない。しかし、つい数十年前までは難解という意味合いで、彼の名や作品は用いられた。時代は緩やかに流れていて、特別な存在の物であっても、私たちはそれを理解し、受け入れていく。

数十年前に国産自然派チーズやワインはどう思われていただろうか。もちろん、大量生産されるチーズやワインは身の回りにたくさんあった。一方、昔ながらの製法や、土地の特性を活かした自然派のチーズやワインは稀な存在だった。だが人々が世界を旅するようになり、欧州で多様性に満ちたチーズやワインを知った。さらに、SNSやそれらをベースにした口コミ、流通の発達で、自然派チーズやワインの存在は、全国の人々の知るものとなった。しかしながら、欧州などの“先進国”の作り手の味を知る人たちには、国産物に対して、先入観もあったことだろう。大抵、通と呼ばれる人は「本場好き」だからだ。その「本場好き」の人たちを唸らせる国産の自然派チーズやワインが、確実に増えはじめている。

ヤギを使って開拓した農場

北海道の函館空港から車で1時間ほどの距離に大沼国定公園がある。そのすぐ近くにあるのが〈山田農場チーズ工房〉だ。山田圭介さん夫婦は共働学舎新得農場(新得町)でチーズ作りに携わった。自分たちの理想とするチーズ作りに取り組もうと、2006年に夫婦で七飯町に移り住んだ。なだらかな丘を背に、自分たちで建てた家があり、その中に小さな店舗、そしてチーズ工房を構えている。10年ほど前に訪れた時は、丘には鬱蒼とした木々が生い茂っていた。ヤギを使って根気強く開拓をしたという。人と動物の力でこれほど風景が変わるものかと驚いた。  

取材は作業の合間に約束していた。早く着いてしまったので、農作業をしている畑にお邪魔した。ここでは家族で食べる野菜を作っているそうだ。



農作業の目処が付き(私たちと話し込んであまり手は動いていなかったが)、40頭のヤギが放たれた丘を歩きながら山田さんと話をした。農場のヤギは人見知りをしない。時折、やって来て靴紐を口で解く。食べられると思ったのだろう。「なんでも引っこ抜くんですよ」と山田さんが笑う。そうか、この旺盛な食欲がこの風景を変えたのか。ヤギを見ていると、ストレスなく元気に育っているのがよくわかる。ヤギは自然に生えた草を食べて育つ。

「欧州のチーズ農家が競うのは草。草の味がダイレクトにチーズの味になる。たとえば……」

と、山田さんは小さな稲のような草を指さした。

「これは明治に日本に入ってきたハルガヤという芝の一種。ハルガヤを食べると、チーズに桜餅のようなフレーバー香りが付くんですよ。日本は火山性土壌が多い。そこに同じ牧草の種を蒔くと同じ味のミルクになる。じゃあ、どこに個性が出るのかと思うんです。雨が多い時期と、乾燥した時の草ではヤギの乳の味が変わる。乾燥しているとより濃い味になるんです。ワイン農家は毎年味が違うといいますよね。ヤギのチーズもそう。日によってビンテージが違うんですよ(笑)。本来のチーズ作りってそういうものだったんです」


手前からガロ常温熟成、ガロ、ガロ・フレッシュ。ガロは地名に由来する。無殺菌の生乳を使用しているため、妊婦や乳幼児、抵抗力の落ちている人は食べることができない。

乳酸菌はどこにでもいる

山田さんと話していると、「本来のチーズの姿」というフレーズが何度も出てくる。つまり、その土地に生えている草や作物や食べた生き物の乳を使い、その土地の菌によって醸されるチーズという意味だ。山田さんは殺菌しない「生乳」を使用し、天然の菌を利用してチーズを作る。ほとんどの日本のチーズ作りはミルクを殺菌し、キャラクターのはっきりしている乳酸菌を添加する。

「販売している乳酸菌は、わかりやすい個性があって、ちゃんとマニュアルもある。それくらい発酵食品は工業化されている。そういうチーズだったら菌叢(きんそう)を理解する必要もない。乳酸菌はどこにでもいる。草や空気中、ミルクを絞る手にもいるんです」

このようなチーズ作りは日本では、あまり前例がないために、週に1度リステリア菌の検査をするなど、衛生面にはとても気を使っている。


天然の菌や生乳で作るチーズ作りの背中を押してくれたのは、自然派のワインや酒を造る人たちだったという。

「仲間はこんな所にいたんだと気がついた」

と、山田さんは笑う。だが、大量生産のチーズも否定はしない。

「昔は尖っていましたので反発もあったけれど、今はそんなこともない。僕自身も冬の餌は近くの農家から買っている。100%自分たちだけでできるとは思っていない。僕らと違うスタイルだからといって、否定なんてできない。むしろ、いろんな農家がいるから選択肢になっている。これから、チーズを作る人にとって、僕も選択肢のひとつになればいい。そんな気持ちでチーズを作っています」


東日本大震災以降、山田さんはエネルギーをなるべく使わないチーズ作りにも取り組みはじめた。冷蔵庫の電源を切り、その代わりに湿度と温度が一定の場所を求めて地下室を作った。

「数千年以上前から人はチーズを作っていたんだから、ここでできない理由がないんです。もし、できないなら、僕がこの環境を知らないだけ。そう考えて作るようになると、以前より『チーズを作っている気分』が高まったんです。今までは、欧州のチーズ作りの後追いをしていたのかもしれませんね。函館でチーズを作っているつもりだったけれど、この場所で作っていなかったんです。だけど、今はこの土地でチーズを作っている。そんな風に思いますね」


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山田農場チーズ工房

山田農場チーズ工房

北海道亀田郡七飯町上軍川900-1 yamadanoujou.blog.fc2.com