風景と結びついた音楽ってあると思う。初めてそれを感じたのがアイスランドだった。周囲には人影も、家も、木々もない、あるのはゴツゴツとした岩肌がむき出しになったかのような小高い山の連なり、広漠とした大地で揺れる草をはむ前髪の長い馬、そして轟々と大地を渡る風。低く立ち込めた雲からは幾筋かの光が神々しく大地を照らしていた。自然と自分とを遮るものがない分、空や山、大地とダイレクトに繋がっている気がした。だけど圧倒的な存在ゆえの畏敬の思い。ビヨークやシガー・ロス、そしてムームが、どうしてああいう音楽をつくるのか、すごくわかった気がした。

セザリア・エヴォラの音楽を初めて聴いたとき、その音がどういう場所で生まれたかを見てみたいと強烈に思った。彼女の出身は西アフリカのセネガル沖に浮かぶ「カーボヴェルデ」という10個の島からなる国。もちろん、初めて聞いた国の名前だった。来日した90年代後半は、インターネットが電話回線でかろうじてつながっていた時代だった。WikipediaもYouTubeもないから、カーボヴェルデとはどんな国で、どんな風景が広がっているのか、人々はどういう暮らしをして、なにを食べているのかちっともわからなかった。もちろん、日本からの行き方だって皆目検討がつかない。なにもわからないまま、アフリカやブラジルの旋律やリズムを感じさせながら、演歌のようにも、ポルトガルのファドのように聞こえるその音楽を不思議な気持ちで聞き続けた。

「カーボヴェルデ」の文字をそこいら中で見かけたのは、ポルトガル・リスボンの街角で。旅行代理店の窓に掲げられたポスターにブラジル、サントメ・プリンシペなどポルトガル旧植民地への旅行案内の文字が躍る中にカーボヴェルデもあったのだ。リスボンでは多くのカーボヴェルデ移民が暮らし、定食屋やレストランもポツポツとあった。日本では誰も知らない未知の国がポルトガルではごく当たり前にその門が開いていたのが不思議な感覚だった。

実際に訪れたカーボヴェルデの多くが乾いた土地だった。16世紀、奴隷貿易の中継港として、それまで人が住んでいなかった島々へアフリカから人々が連れてこられたはいいけど、農業には向いてない土地だったため、産業として育ったものといえば、漁業、サトウキビ、ラム酒製造など。島にいては生活が成り立たないから、島で暮らす国民と同等数、もしくはそれ以上の人が現在でも移民として海外で暮らしている。現地で出会った男の子は、自分たちが混血を繰り返してできた民族であることを誇りに思っているようだった。「ね、肌の色を見て。真っ黒じゃなく茶色だろ」。そして、自分がいかに時間に遅れない誠実な人間であることを繰り返し強調した。それが彼の中での「イケてる」男の基準らしかった。

セザリア・エヴォラとともにカーボヴェルデを世界に知らしめた「ソダーデ(Sodade)」という曲は離れ離れになった人を思う悲しさを歌った曲だ。「ソダーデ」とはポルトガル語「サウダーデ(Saudade/郷愁)」のクレオール語だ。港には出稼ぎへいく父親を見送る名もなき母子の銅像が建ち、海へ向かって手を振っていた。その背中を見ながら、リスボンで仲良くなったカーボヴェルデ出身の友人のことを思った。「航空券が高いからね、めったに戻れないよ」。彼は寂しそうに笑った。当時、リスボンとカーボヴェルデを結ぶ航空券は往復で10万円以上した。会えない寂しさ、帰れない切なさを埋めるためのひとつの手段が音楽だったのだろう。遠い土地にいる大切な人を思う歌、帰れない故郷を懐かしく思う歌。この国にはいたるところ、それぞれの島、港、村にそれぞれの歌と音楽があった。そうした土地では街角やカフェ、飲み屋、定食屋などで演奏が行われていて、地元の人たちがうっとりと耳を傾けていた。そうしたもののほとんどが洗練にはほど遠い、キーボードのリズムボックスをそのまま使って演奏しているようなダサいものだった。それも含めて愛おしくてたまらなかった。こうした環境で音楽は愛され、今も歌いつがれていくのを確認した。そのときプラスチックの横笛をもっていたので、どういう経緯だったかは忘れたけど何曲か一緒に演奏した。彼らにしてみたら、遠い日本からやってきたポルトガル語を話すオンナがどうして自分たちの国の音楽を演奏できるのか、ものすごく不思議そうに、でもうれしそうに感嘆された。

もちろん、この国にあるのは物悲しい音楽だけでなく、明るく踊り飛ばすダンス音楽や、祭りのときに演奏されるリズム音楽もある。昔、マグロ漁船がカーボヴェルデ近海で漁をしていたことから日本語が一部取り入れられた曲「Sayko Dayo」もあるし、市場では当時日本の船で働いていたという老人から流暢な日本語で話しかけられたりもした。どうしてこの国に来たのか訪ねられて、セザリア・エヴォラがきっかけだったと答えると、彼女はものすごい酒豪で、道の上で寝ていたことをおもしろおかしく、誇らしげに語る人が多かった。豊かではないけれど故郷を思い、音楽を愛するこうした人々を含めた島の環境が、こんなにも詩情豊かな音楽をつくっていることがよくわかった。

セザリア・エヴォラは2011年に亡くなってしまったけど、カーボヴェルデからは今もたくさんの音楽家たちが生まれている。セザリアの後を継ぐといわれる女性シンガー、マイラ・アンドラーデ、サラ・タヴァレス、カルメン・ソーザなど、その多くが国外で暮らしているのも、またカーボヴェルデらしい話ではあるけれど。

岡田カーヤ

ライター、編集者、たまに音楽家、ちんどんや。街の楽団「Double Famous」ではサックス、アコーディオンなどを担当。旅と日常の間で、人の営み、土地に根ざした食や音楽などの記事を書く。『翼の王国』『ソトコト』などで執筆。ワインとスープを飲み歩くのが好き。幼稚園児程度のポルトガル語を駆使しながら年一ペースでポルトガルへ通う。当コラムタイトル「HOLIDAY GOLIGHTLY TRAVELING」は、カポーティ『ティファニーで朝食を』の主人公のドアに掲げられている言葉から。