記憶力が悪いのはなにもここ最近のことではない。唯一、すぐに忘れることだけは覚えているので、旅の記憶もいろいろな形で未来の自分へメッセージを残すようにしている。

取材となると、現地へ行ってから記事をつくるまで一年近くあくことがざらにある。一年後にノートを開いてみて、何度イヤな汗をかいたことか。きれいさっぱり忘れているのだ。記憶として、いい取材をしたことは覚えているし、おもしろかったこと、おいしかったもの、冗談をいいあって笑ったこと、感動して泣きそうになったことは覚えている。けれど、どうしてそんなことになったのか、誰がなにをいっていたのか、具体的なことが思い出せない。書かれていること自体は理解できても、一年という年月のなかでそれぞれの繋がりを忘れているから、それらは詩のようでも、暗号のようでも、パズルのようでもある。

こうした言葉を結びつけるのが、「心の動き」だったりする。あのときあの瞬間になにに心を動かされたか。人の言葉なのか、覚悟を決めたかのような表情なのか、夕日を見ていて心を奪われたときの一体感だったのか、ねっとりとまとわりつく空気だったのか、肩を寄せ合いながらたたずむ人影だったのか。ヒリヒリとした感覚とともに残っている引っかき傷のような感情を思い出すことで、そのとき起きたいろいろなことが鮮やかに浮かびあがる瞬間が確かにある。ピリっと心につきささったなにか。それさえよみがえると、いろいろなピースが繋がって、一気に視界が開けてくるから不思議なものだ。そんな大切なことなら、まずは忘れるなという話しではある。

それでも仕事のときは、気持ちが取材モードになっているから、ノート、資料、写真、レコーダーなどでなかば事務的に記録を残しているけれど、プライベートだと、とたんに記録の精度が落ちてしまう。

旅に出ると、たいていはそれだけで満ちたりてしまう。景色や人との出会い、ちょっとした会話、おいしかった食事など新しい情報の連続だと、それを受け入れているだけで幸せな気持ちになる。そうして充足すると、書くことが見つからないという状態になってしまうのだ。書くためにはある程度のハングリーさであり、心の引っかき傷が必要なのだ。

そんな状態のときになにかを書こうと思っても、たいていはロクなことにならない。とくに一人旅だと自分との対話が多くなるせいもある。旅は人をロマンチストにしてしまうせいもある。自分との対話の内容、自分の新しい自分の一面を発見したことを陶酔的に書き連ねてもたいていはおもしろくない。帰って読むと恥ずかしすぎて、すぐにページを閉じてしまうのだ。

数人の友人たちと一緒にポルトガル北部を旅したときのこと。普段気ままな単独行動が多いから、いちいち合意形成をしなければ次に進まない面倒くささにイラつきつつも、それはそれで楽しい集いだった。でも、みんなで一緒にいるからか、移動ばかりでひとつの場所に落ち着かないからか、自分がどうしてここにいるのかわからなくなった。そうしたら、なにを書いたらいいかわからなくなってしまったのだ。時間はあるから書こうと思っても、書くべきことがまったく浮かばない。しかたがないので、目の前のハエのことを延々と書き連ねたことがある。

スペインとの国境近く、川に湧き出す温泉のまわりに、パラソルやシートを設置して水着でバカンスを楽しんでいる。そんな人々を眺めながら、ひたすらハエのことを描写した。一匹のハエがちょっと前で寝そべるビキニのおばちゃんの豊満なお腹の上へとまっては、こっちへやってきて鼻先をかすめて飛んだあと、おじちゃんのハゲ頭にとまってはまたこっちへやってきた。しつこく、うるさく、飛び続け、それを淡々と見つめたことを。書かれたものからはプルーストの「失われた時を求めて」やニコルソン・ベイカー「中二階」のように刻一刻と変わるできごとや思いをこぼさぬように描写するという丹念さは微塵も感じられなかった。少しばかり、心が麻痺していたんだろう。今となってはハエを書き続けたことも、ある意味、心の引っかき傷ともいえなくもない。いかに自分がロードムービー的な旅は向いていないと気付かされたできごとだった。

ちなみに旅を書くうえでの私のアイドルは内田百閒と宮本常一、バイブルは「阿房列車」と「忘れられた日本人」。いつかそんな記録が残せたらという思いは、これからも忘れずに覚えておくつもりだ。

岡田カーヤ

ライター、編集者、たまに音楽家、ちんどんや。街の楽団「Double Famous」ではサックス、アコーディオンなどを担当。旅と日常の間で、人の営み、土地に根ざした食や音楽などの記事を書く。『翼の王国』『ソトコト』などで執筆。ワインとスープを飲み歩くのが好き。幼稚園児程度のポルトガル語を駆使しながら年一ペースでポルトガルへ通う。当コラムタイトル「HOLIDAY GOLIGHTLY TRAVELING」は、カポーティ『ティファニーで朝食を』の主人公のドアに掲げられている言葉から。