ピレネー山脈の西側に、大西洋を向いたスペインとフランスにまたがるバスクと呼ばれる地域がある。地形の多様さが恵みを生むエリアだ。スポーツにおいても然り。世界的な波とマウンテニアリングを求めて、写真家・志津野雷と、プロサーファー中村竜、Jazzy Sportのマサヤ・ファンタジスタが旅に出かけて行った。

10日間、どう動くのかを一切決めずに現地に入り、キャンピングカーがやはり必要だと判断してレンタルする。自然の贈り物たる波と雪を、その日の状況に合わせて選んで、遊ぶ。スペインとフランスにまたがる「バスク」という特別な地域に通う写真家・志津野雷は、どうしてもスペシャリストである友人たちを連れて訪れたかったのだという。

「“逗子バスク勝手に姉妹都市”って言っているんだけど、初めて訪れたときに俺が暮らす逗子とバスクって風景が似ているなって思ったの。でも、バスク人と仲良くなればなるほど、似ているようで似ていない。強い独立心とか、それゆえの地元への愛とか、俺たちに足りないものがバスクにあるなって思うようになったんだよね。バスクを“水を巡る”っていう切り口で見るときに、プロサーファーである中村竜と山のスペシャリストであるマサヤ・ファンタジスタと一緒に行ったら、どうなるんだろうって。人が結局、ちっぽけであるっていうことを知りに行きたいなって思ったんだよね」

スタートは、海が歓迎してくれた。世界中のサーフスポットを旅する中村竜自身も、一度滑ってみたかったというムンダカというクラシックポイントで、グッドウェイブの歓待を受けて、感じるものがあった。

「波はとても素晴らしかった。でも、それ以上にバスクのスタイルに触れられたことに価値があると思ってる。海に入っていても、みんな自然に深く触れている感じが出ているんだよね。サーフィンのテクニックがどうこうではなくて、深く、海に接しているっていうのかな。そして、その海との深い関わり方を地域がバックアップしている。ビーチ沿いに公営のクラブハウスが立っていて、シャワー室があって。サーフショップとかブランドっていう区切りじゃなく、海と触れ合う場の提供の仕方、税金の使い方がすごく正しいと思った。環境意識にも確実に繋がるだろうし、みんなの思考がうまく回るようになっているんだよね」

文化としての山岳の世界

一方で雪山には世界的なエルニーニョの影響で、雪は少なかったという。けれどマサヤ・ファンタジスタはまったく気にしない。

「別にパウダーを求めて行ったわけじゃないから。今回はこういう雪だったんだなって。どんな状況でもポジティブでいることを山や海から学んでいるわけじゃん? 自然に逆らえない自分の小ささ、無力さも楽しみのひとつだから。今回は、この試練かって、分からされる楽しさがあるから(笑)」

中村竜が「正しい」と語った、バスクの人々の自然との関わり合い方を、マサヤ・ファンタジスタは「カルチャー」と呼んだ。
「二代三代と続いているからね。ピレネー山脈の山間の田舎だから当たり前なんだけど、そこには生活があって文化としての山岳の世界がある。オニャティというポイントでクライミングガイドをしてくれた人は酪農家だったし、雪山へ連れて行ってくれたオジさんは、逗子の映画祭にも来てくれた料理人だった。きっと山を登っている成果のようなものは、酪農や料理にも繋がっていて、つまり生活になっているんだよね。

みんな自然に生かされているっていうことを理解した上で生活しているんだと思う。だから、子供の教育にもいいってことがみんな当たり前にわかっているから、カルチャーとなって繋がっているんだよね」

海からすぐに低い山があり、さらにハイクアップを続ければ、高度を上げて雪山へとたどり着く。毎日のように上下動を繰り返していると、自然の中で遊ぶことが生活そのものになっていく。サン・セバスチャンをはじめ美食の街として知られるエリアながら、街で夜まで遊ぶよりも、地元で育った果物をご褒美に早く寝て、次の日に自然が何を用意してくれているかに注視する。その豊かさこそが、今回のバスク旅の本質だった。

経験値だけが育む、佇まい

そして海と山、普段とは異なる互いのフィールドに足を踏み入れることで、学ぶことが多々あった。例えば、マサヤ・ファンタジスタから見た中村竜は、こんな風に映った。

「ちゃんとしたサーフスポットで、ちゃんとしたサーファーが準備をする一連の流れを初めて見たけれど、山と一緒だなって。ライディングそのものだったら、もっと若くて身体がキレている奴がいるかもしれない。でもトータルシーケンスでの佇まいっていうかさ。最初の一本で周囲に自分の実力を分からせて、結局その日のベストウェイブを乗ってサッと帰る。スタイリッシュだよね。山でも滑りはボチボチだけど、休憩の取り方、歩くペース、さすがベテランっていう人たちがいる。それに近いよね、竜の姿は。ライディングももちろんだけど、波待ちの仕方とか、車を降りた瞬間から感じるものがある。その経験値の高さみたいなものを一緒に海に入って近くで見ることができたのは、すごく勉強になった」

ダブルオーバーの巨大な波に、サーフィンに関しては素人同然であるマサヤがパドルアウトして、中村竜の近くでその一挙手一投足を見ていることにも価値があり、波に巻かれながらバスクの海のパワーを感じるという“共通言語”が、友人との距離もまた縮めていく。互いのフィールドに踏み入れることは、自然にリスペクトを生む。中村竜は雪山に足を取られながら、そのスケールの大きさに感動したと言う。

旅から何を持ち帰るのか

スペシャリストとともに旅をすることの意味は、自分の目の他に第三の特別な目を持つということだ。海と山、それぞれサードアイで眺めたバスクは、写真家・志津野雷が望んでいた通り、今まで以上に新たな視点を獲得することができたという。

「バスクと聞くと9割以上の人が美食の街っていうイメージだと思うけど、この二人を通すと全然違う角度から見ることができる。バスク人はこだわり屋だからさ、自分の好きなことは徹底してやる。それが山でも料理でも。その対象にある背景を重んじて、シェアするっていうメンタリティ。それが二人のおかげで、より深く見えたんじゃないかな。今度は自分たちのホームタウンでいかに気持ちをうまく伝えるかっていうことが大事。逗子にも10年後、20年後には公共のシャワー室を作りたい。そういう環境に引き寄せられて若者が集まるはずだから。自分たちの場所は、自分たちで作るのがバスクの気質。ただ自然と遊ぶだけじゃなく、住んでいる人たちで結束して、地元を愛しているから、環境を守ることができるんだよね」

海に入り、山に登ることで、すべてが繋がっていることを体感する。その分かりやすい例として、“水”があるのだと、3人は口を揃える。低気圧によって山には雪が降り、風がもたらされて波が立つ。雪と波。自然のパワーの発現として水がある。そして美しい土地を統べるのは、美しい水。マサヤ曰く「これが当たり前でいいのにねっていう感覚」とは、自然と共に暮らしがあるという自明の理をきちんと受け止めているかどうか。旅から持ち帰ったものを用いて「少しずつ意識を変えていきたい。今度は伝える番なんだよね」と、志津野雷は語る。3人がバスクを旅することで得たのは、未来を見通す「正しい」座標のようなものかもしれない。

本記事は、2016年4月発刊のMAGAZINE「mark 06」に掲載された写真・原稿を再録したものです。

志津野雷

志津野雷

写真家、移動式映画館〈CINEMA CARAVAN〉代表。2010年にスタートした逗子海岸映画祭をはじめ、 「PLAY with The Earth」をコンセプトに、サンセバスチャン国際映画祭に〈CINEMA CARAVAN〉として参加 するなど、国内外で活動。アーティスト栗林隆との共同プロジェクト〈YATAI TRIP〉なども行っている。

中村竜

プロサーファー、〈MID TIDE〉、〈MAGIC NUMBER〉ディレクター、H.L.N.A founder。鎌倉出身。13歳でサー フィンを始め、22歳でプロサーファーに。俳優としても活動し、「オレゴンから愛」などに出演。コンペティションよりも、フリーサーファーとして世界中を旅する日々を送る。写真家としても活動している。素潜りにも精通している。

マサヤ・ファンタジスタ

Jazzy Sport主宰。ポーランド生まれ、横須賀育ち。2001年にスポーツと音楽の融合を掲げた〈Jazzy Sport〉を 立ち上げ、さまざまなアーティストのプロデュースを行う。DJでのヨーロッパツアーほか、現在ではクライミング ワールドカップでのDJや、スキーブランド〈vector glide〉とのツアーなど、山岳スポーツの振興にも尽力している。